御城印めぐり「福束城」落城していなければ西軍有利だった?
岐阜県安八郡輪之内町にあった福束城跡を訪問しました。
福束城は揖斐川近くに位置しており、兵糧の運び入れに有利に働くため関ヶ原の戦いの前に東西両軍から誘いを受けるほど戦略的にポイントになる城でした。

戦略的に重要な城だった福束城
城主の丸毛兼利は西軍につき、攻め入る東軍とにらみ合いましたが耐え切れず城を捨てて大垣城へ敗走。
丸毛サミットでの講演では、丸毛さんがもう少し籠城して耐えていれば落城しなかった。落城していなければ西軍有利だったと解説がありました。
戦略的に重要なポイントだった福束城落城の後、関ヶ原の合戦で西軍が勝利しました。

遺構は特になく
丸毛サミットが開催された輪之内町文化会館から徒歩で福束城跡(福満寺)へ。風と雨に打たれながらの行軍。40分近くかかってしまいました。

福満寺手前の用水路。かつての遺構のようにも見えますが違うようです。
以降はほぼ残っておらず、当時の面影は今やありませんでした。当時は串団子のような連郭式の城郭だったようです。



御城印は2種類あり、どちらも福束城の縄張りをイメージしたものとなっています。なかなか他では見られないデザインの御城印で結構気に入っています。
■御城印購入場所
(イベント)丸毛サミット輪之内町ブース 1枚300円
普段は福満寺、輪之内町役場、ほっとステーションわのうちで販売中
福束城へのアクセス
🔎公共交通機関の場合
東海道線「大垣駅」から名阪近鉄バス輪之内線→「福束」バス停から徒歩15分
🔎車の場合
名神高速道路「大垣インター」から約8分
■福束城