松永久秀最期の地「信貴山城」御城印

2023年2月27日

松永久秀が、信長が欲しがった名茶器「平蜘蛛茶釜」を砕き自害した場所、信貴山城を訪問しました。

信貴山城は旧国名大和と河内の境目、奈良県生駒郡平群町にあった城です。

近場かつ山城ということでなかなか行く機会がありませんでしたが、今回初めて訪問することになったので紹介します。

旅のはじまりは王寺駅(JR・近鉄)

信貴山門行き

信貴山門へ行くバスは王寺駅北口から出発します。王寺駅は南口にもバスターミナルがありますが南口で待っていても信貴山方面へ行くバスは来ませんので注意してください。ちなみに法隆寺前行も北口です。

信貴山への参拝に便利な信貴大橋バス停。観光センターや信貴山朝護孫子寺へはこちらが最寄りとなります。

信貴大橋の次が終点の信貴山門バス停です。せっかくなので終点まで乗ってから登城することに。

信貴山門バス停

大阪側から近鉄のケーブルカーで上がってきた場合、ケーブル高安山駅から信貴山門まで近鉄バスが走っています。

御城印は信貴山観光iセンターで

信貴山門から案内に従って進むと、ダムにかかる開運橋があります。開運橋を渡ったところに「信貴山観光iセンター」があります。ここでは御城印や松永久秀の武将印ちょっとしたお土産が販売されていますよ。

観光センターを過ぎ、世界一福虎(おおきな虎)があります。行く時は止まっていましたが、帰る時は電源が入っていたのか顔が動いていました。

赤門をくぐると朝護孫子寺の中に入っていきます。たくさんのお堂が立ち並んでいて迷ってしまいそうですが、ちゃんと信貴山城への道しるべがあるので大丈夫です。

山頂付近にある朝護孫子寺の空鉢護法堂というところに、かつて信貴山城の天守があったと言われています。

空鉢護法堂から先は一気に山城の雰囲気に

雌嶽と雄嶽の分岐点にある信貴山城案内図
雌嶽は曲輪になっていて、枡形状の出入り口があった。
空鉢護法堂からの眺め

空鉢護法堂まではコンクリートの階段が整備されているので、スニーカーでも全然問題ありませんでした。

空鉢護法堂の北側に松永屋敷などがあった信貴山城の曲輪群が広がっているのですが、そちらは完全に土の道。

登山靴とまでは行きませんが、歩きやすい靴がベストです。

立入屋敷とよばれる曲輪

立入氏は松永氏の政治の実務を担ったと案内板に書かれていました。

よく手入れされているのでじっくり歩き回ることができます。

右側は10メートル以上の切岸
松永屋敷

立入屋敷から少し下った位置にある松永屋敷。広大な曲輪が広がっていました。

さらに北側や東側にも曲輪群があるのですが、時間の関係もあって今日はここまで。

来た道を戻ってバス停まで戻ることにしました。空鉢護法堂へ登ってくる人は結構いたのですが、松永屋敷まで来る人はほとんどいませんでした。

山城ですがボランティアの方たちがきれいに整備してくれているので、とても見やすい城でした。

有名な松永久秀最期の地なのでもっと有名になってもいいような気もしますが…

■御城印販売所

信貴山観光iセンター 300円

信貴山城へのアクセス

🔎公共交通機関の場合

JR・近鉄王寺駅、近鉄新王寺駅からバスで約22分→「信貴大橋」「信貴山門」バス停から徒歩

🔎車の場合

・国道25号線三室交差点より10分

・阪奈道路(信貴生駒スカイライン経由)信貴山門料金所よりすぐ

・第二阪奈壱分ランプより30分

・西名阪自動車道香芝IC、法隆寺ICから30分

■信貴山城